左側に置かれたメインミラーの両サイドから見下ろす2頭の雄鹿の頭は、急いでランチに出かけた一人の顧客による1921年の忘れ物だ。その顧客はランチ先で派手なパーティーに巻き込まれ、その後戻ってこなかったという。額縁入りの色あせた王室御用達許可書が飾られ、何十年もの間に数多くのヨーロッパ君主達が、英国式ビスポークの中心地として知られるこの店舗の敷居をまたいだことがうかがえる。サヴィル・ロウの多くの店が紳士服博物館としても機能しているが、ここで展示されている衣類のセレクションはまさに驚くべきものである。元々はデヴィッド・ボウイのために作られた、ビーズで覆われたクジャクの羽が2枚付いたラペルなしフロックコート。オークションを経て生まれた場所へと戻ってきた、エリック・クラプトンの古い狩猟服。『The Million Pound Note』でグレゴリー・ペックが着用したフロックコート。フランシス・ベーコンによる作品がプリントされたシルクの裏地を見せるために、裏表逆にマネキンにディスプレイされたコートまでが置かれている。
ディスプレイされた全製品の中でも、この店の豊かな歴史をもっとも雄弁に語るのは140年を経た乗馬ズボンだろう。ハンツマン家5世代によって着用されたもので、数年前にジンバブエから持ち帰られた。この服は、1809年にニュー・ボンド・ストリート126番で初めて店舗が構えられた時、ハンツマンが「ゲートルと乗馬ズボンメーカー」だったということをはっきりと思い起こさせる品だ。そして、誠実にそのルーツに向かいあおうとするこの企業の意思を証明するものでもある。
Huntsman’s Pierre Lagrange.
「当家のスタイルは今日まで、乗馬用ジャケットから生まれてきました」とヘッドカッター兼クリエイティブ・ディレクターのキャンベル・ケイリーは述べる。「そのようなジャケットに重要なのは、乗馬の間もフィットするということです。そのためハイ・アームホール、ハイ・ウエストラインとロング・スカートによって胸部はぴったりとした作りになっています。そして頑丈ながらも自然な肩のラインも、とても特徴的です。世界中でトランクショーを行っていますが、マディソン・アベニューを歩きながら1マイル先からでもハンツマンのジャケットを見分けることができますよ。」ここで記しておくべきは、この力強いシグネチャー・ジャケットのカットの生みの親だろう。サヴィル・ロウ研究者らがあげるのは、コリン・ハミックの名だ。ハミックは1942年に14歳でハンツマンへ入店し、1950年代までにヘッドカッターとなった伝説の仕立て師だ。彼は日に4回もスーツを着替えたと言われている。
現代に戻ろう。エアーシア生まれのケイリーは、彼が常にロンドン式テーラーの中でも最も優れたものとしてきたこのテーラー・ブランドで、商売のコツを豊富に学んだと話している。「もう学ぶことはないと思っていました。しかしここへ来て、それはもう、たくさんの新しい微妙なニュアンスや技術を目にしたのです。それらは何世代にも渡って受け継がれてきたハンツマン独自のもので、この場所の基盤のようなものです」と彼は言う。「たくさんの狩猟服や野外服を扱っていますが、ここに来るまで見たことがなかったポケットやその他のディテールが使われています。例えばフル・シューティング・プリーツの代わりにハーフベルトの下にピンチ・プリーツを入れることで、ジャケットの背面の動きが楽になり形もしっかりします。そしてボックス・プリーツ入りのポケットは、弾薬筒を入れるのに十分なスペースを維持してくれる一方、街中では完璧に平らなままです」。ケイリー曰く、着用者が銃を肩へと持ち上げる時に見苦しくジャケットがずり上がらないようにするために採用されているのは、難解なパターン製作やカット法だという。
英国で手縫いされている衣類という固有のロマンス、そして卓越した技術。それが、このブランドが現在アジアで大成功している理由だとシニア・カッターのロバート・ベイリーは説明する。ベイリーはアジアでのトランクショー責任者であり、年に4か月ほどをアジア地域で過ごす。「アジアの人々は仕立てについてとても良く勉強しており、ハンツマンのシルエットのことも知っています。しかしそれを少しだけ、変えなければいけないのです」ベイリーは解説する。「ほんのわずか、フラットな形にしています。それによってシルエットの前後よりも、サイドに形が出やすくなります」
目の肥えたビスポークファンにとってのもう一つの魅力は、高級かつ、その多くが著しく稀な生地の品揃えだ。「ヘブリディーズ諸島のアイラ毛織物工場 ( Islay Woollen Mill) とは1983年以来取引を続けています。」ケイリーは説明する。「彼らと製作するデザインは“大胆なほどいい”といっています。また2007年、グレゴリー・ペックの息子であるアンソニーが父君の遺産を整理した折には、60年代初期から2000年台までの160点を超えるハンツマン製品を寄贈してくれました。それによって、古く忘れられていた当家の素晴らしいチェック柄を再び手にすることができました。ツイードジャケットの一つに見つかった、際立って独特で珍しいパターンを現在では『ペック・チェック』と呼んでいます」
ハンツマンの偉大な名声の核となったのは、アーカイブに残る輝かしい名前の数々かもしれない。プリンス・オブ・ウェールズ (後のエドワード8世)、デューク・オブ・ケント、ロード・チャールズ・キャヴンディッシュ、ヴィンセント・チャーチル、ルドルフ・ヴァレンティノ、アイヴァー・ノヴェロなどの1920年代の顧客リストには、ローレンス・オリヴィエ、クラーク・ゲーブル、後に大統領となったロナルド・レーガンなど、その後結びつきが強くなったハリウッドスター達が続いた。ごく最近ではハリウッドのスパイ映画『キングスマン』が2013年に公開され、ハンツマンがその製作インスピレーションとなったことが広まり、それ以前のハンツマンのハリウッドとの結びつきは過去のものとして一新された。作品にはコリン・ファースとサミュエル・L・ジャクソンがシークレット・サービスとして出演し、監督のマシュー・ヴォーンは18歳からのロイヤル・カスタマーだ。
時代をまたぐセレブな顧客は、ハンツマンのアイデンティティと魅力にとって欠かせない要素なのだろうか?「大変重要ですね。誰しもが、憧れたりエレガントだと思う人物と同じ物を着たいと考えますから」。2013年に当ブランドを買収し、現在はサヴィル・ロウ・ビスポーク協会議長を務めるピエール・ラグランジュはそう語る。「ファッションリーダーは、通常上の世代から生まれますが、全てはどんどん磨きがかけられていくものです。紳士用スーツはこの100年ほとんど変わっていません。しかしハンツマンのカットは、時を経るごとに新しい世代のカッターによってより洗練され、純化されています」長い歴史の間、著名人たちに高く評価されてきた現代のハンツマン・シルエットの優雅さは、この先も長く続いていくことだろう。